これからは生きる力を

こんな事が起こるから飲む量を考えない飲酒は怖いんです。


今日は6時に起きて味噌汁を作り、洗濯をやり、梅田に行って買い物(下宿先で使う鍋の購入)をして、帰宅後も近くのスーパーで買い物をしました。
.........完全に主婦の生活ですね(笑)。


ただ、家事は実際にやってみないとその大変さが分からないと思います。料理や洗濯をするにも、気をつけるべきpointが多くて覚えるのに時間がかかりそうです。私はまだ料理時に換気扇を付ける習慣が身についていません。(^^;)


今までは勉強と遊びだけやっておけば良いと思う時がしばしばありましたが、これからはそうはいきません。家事をこなせるようにならないと一人暮らしが上手くいかないでしょう。しかも私は3/21から名古屋に移るので、あまり時間がありません。とりあえず親の手伝いをして家事に少しでも慣れるようにします。模型に触れる時間はもはや無いようです。(^^;)


明日は一日中引っ越しの準備になりそうです。

 飲酒は18歳でもダメなのか?

今日は飲酒について考えを述べたいと思います。


日本では20歳未満の飲酒は禁止されています。昨日、私は小学校の同級生たちと一緒に遊んで晩ご飯も食べたのですが、行った所が居酒屋だったんです。飲酒運転の取り締まりが強化されていますから、未成年の飲酒の取り締まりもしっかりとやっていると思い込んでいましたが...。現実は違いました。「未成年の飲酒は絶対にいけません」というステッカーが貼られている居酒屋の中では、未成年の人々にお酒を気前よく振る舞う店員さんの姿がありました。(^^;)


法律が機能していません(汗)


ここで私は1つの提案をしたいと思います。飲酒禁止の年齢を18歳未満にすればどうでしょうか?守られていない法律は存在していても意味がありませんし、大学の新入生が、サークル等の歓迎会で強制的に飲まされたという事は私も度々聞いています。私と同い年の友人は「お酒には慣れておいた方が良い」とさえ言っています。成人する前に飲酒を回避するというのはもはや不可能なのかも知れません。だったら18歳までOKにして17歳以下の飲酒を厳しく取り締まった方が法律が機能しやすいのではないでしょうか?


また、気をつける必要があると個人的に感じているのは「量」です。お酒は飲む量によって薬にも毒にもなると聞いています。一人一人が自分の体質を理解した上で飲む量を制御するのは飲酒する上での絶対条件だと思います。それが出来ない人がお酒を飲むと危険でしょう。成人年齢が18歳に引き下げられたとしても、飲酒には自分に責任が伴う事を忘れてはならないと思います。


あまり論理的な文章ではありませんが、今日はこの辺で。ちなみに私はお酒を一滴も飲んでいませんよ!(^^;)

 受験を終えて思う事

国公立大前期試験の合格発表もピークを迎え、友人から次々と合格の報告が来ているのにホッとしている管理人です。志望校に合格する喜びは何事にも代え難いものだと思います。今日は受験生の端くれだった私の経験をベースに、受験を振り返ってみたいと思います。


私は、どんな学部を受けるにせよ、受験は決して甘くないものだと感じました。「まあ、大丈夫やろう」と考えていると何らかの災難が降り掛かると思います。私の場合はセンター試験でした。高得点を取れると思っていた科目で今まで取った事の無いような点数を叩き出してしまいました。これは間違いなく油断による失敗だと思います。この経験から、物事を甘く見てはならないという事を私は痛感しました。


しかし、受験だからと言って自分を追い込み過ぎると知らないうちに精神的に不安定になってしまうと思います。私が目指したのは、「今やっている事はいずれ役に立つかもしれない」というプラスイメージの考えを常に持った上で勉強に取り組む事でした。結果としてその域まで達する事は無かったような気がしますが(汗)、この考えによって全科目をまんべんなく勉強する習慣が身につきました。受験はポジティブに考えた方が絶対にいいです。そうする事で、モチベーションが高くなるからです。


最後に、勉強のやり方は十人十色だと思います。私は予備校が全く合わないタイプだったようですが、快適な学習環境を得るべく、自習室利用が目的で予備校に通いました。授業は1講座だけ取りましたが、全然期待していませんでした(笑)。予備校に数ヶ月間通ってみて、出した答えがこの方法でした。友人の一人は、「予備校は行くものではなく使うものだ」と言っていました。私もそう思います。周りに左右されずに、自主的にやるという姿勢はこれから必要になってくると考えています。


これらの考えは全て個人的経験に基づいたもので、「そんな考え方もあるのか〜」と思う程度にこの記事を見ていただければ幸いです。いずれにせよ、受験は苦しい時もありますが苦しんだ分に見合っただけの収穫があると思います。合格だけではなく、色々な事に対して自分なりの考えを持てるようになると思います。私にとってはそれが大きな収穫でした。

 片道切符で遠くに行ってみる旅 最終日(5日目)

3月3日
この旅行も終わりに近づいていますが、最終日は私にとっての一大イベントがあります。「生まれ故郷を6年ぶりに訪れる」ことです。私は10歳の時まで静岡県三島市に住んでおり、18歳になった今でも三島に居た頃の記憶が強く刻み込まれています。小学6年の時にも三島に行きましたが、中学、高校を経て6年のブランクが空いてしまいました。この旅行をすると決めた時に三島を訪れることを思い立ち、かつての友人に連絡をして会うことにしました。

9:57大船→10:52熱海 東海道本線 快速アクティー熱海行き
10:59熱海→11:13三島 東海道本線 沼津行き
写真は熱海駅です。乗ってきた快速アクティーと、これから乗る沼津行きです。

長い長い丹那トンネルを抜けて函南を過ぎると、そこには懐かしい風景が迎えていました。ただ、三島駅の北口は大きく変わっていて、長い時間が経った事を実感しました。まずは一人目の友人に会いに行きましたが、今の話と思い出話に花を咲かせ、6年のブランクを感じることはありませんでした。私は8年前にタイムスリップしているように思えましたが(苦笑)。昼食まで御馳走になってしまいました。そして場所を移して二人目の友人。こちらは外見こそ髪の毛が金髪に近いオレンジ色になっていましたが(笑)、中身は相変わらずいい奴だなと感じさせてくれました。性格的、視覚的(笑)に対称な二人の友人と話ができてよかったと思います。しかしみんな年を取ったなあと思いました。(^^;)

16:26三島→18:16名古屋 東海道新幹線 こだま667号名古屋行き
友人達に別れと再訪を告げ、神戸の自宅に戻ります。新幹線を利用する時は殆どが優等列車であったので、こだま号に乗車したのは4年ぶりです(汗)。ただ、各駅停車でのんびりと行くというのはやはりいいものだと感じました。「ぷらっとこだま」というお得なきっぷがあるんですが、三島からでは使えないというのが残念。

途中の浜松駅でうなぎの入った駅弁を購入。弾力のあるうなぎは美味しかったです。容器が立派なものだったので持ち帰りました。

18:21名古屋→18:49米原 東海道新幹線 ひかり521号新大阪行き
列車は名古屋止まりですが、5分後に新大阪止まりのひかり号がやって来るので、時間のロスにはなりません。この辺りは、さすがJR東海だと思いました。すぐに米原に到着。今回の片道切符は山科止まりなので、米原で下車する必要があります。
18:59米原→20:02山科 東海道本線 普通播州赤穂行き
新幹線の到着と同時に新快速が出発してしまうダイヤだったので、続行の普通列車に乗る事になります。さすがに疲れがたまっていたのか、よく寝ていました。山科で下車し、ここから自宅まではJRではなく安い経路で帰ります。
 
20:12山科→20:21三条京阪 地下鉄東西線 太秦天神川行き
三条から阪急の河原町駅までは鴨川に沿って歩きます。夜の京都も素晴らしい雰囲気です。
20:38河原町→21:20十三 阪急京都線 快速急行梅田行き
21:23十三(阪急神戸線 特急新開地行き)→22時頃に帰宅
長旅でしたが、新しい発見や感動がたくさん得られた有意義なものでした。このような旅行をこれからもしていきたいと考えています。

 食べられるのは今だけ

今日は旅行記の方はちょっとお休みして、新しくカテゴリーも作った上でラーメンの話でもします。


いつからラーメン好きになったのかは自分でもよく分かっていません。ただ、ラーメンにのめり込むきっかけとなった店はあります。「楓林らーめん」という、芦屋に本店をもつチェーン店です。受験生時代にお世話になった予備校の近くに支店があり、そこで昼御飯としてよく食べていました。麺は細めでやや量が少ないのですが、何と言ってもスープの味が私にとって格別です。在りし日に隣に居た人がこう呟きました。「優しい味やねえ」と。まさにこの言葉がピッタリだと思います。醤油がベースのスープなのですが、脂っこくなく塩辛くも無く薄いことも無く、私にとってちょうど良い濃さです。この店のスープが、私にとっての基準です。あとはたっぷりの野菜と、柔らかい焼豚もgoodです。私はいつもご飯付きのセットを注文しているので、物足りないということはありませんでした。本当に美味しいです。


で、今日は六甲道に最近openした「虎と龍」という店に行ってきました。九州の豚骨ラーメン専門店のようです。豚骨ラーメンはしっかり味とあっさり味が2種類あって、私はしっかりした味の方を食べました。前述の楓林ラーメンの麺の量が少ないからでしょうか、ここの麺は多く感じましたが追加のご飯いらずで私にとっては経済的です。とても濃厚なスープでした。焼豚も脂身が多くて全体的に濃厚なラーメンです。私としてはやや濃厚かな?無料トッピングにすりごまがありましたが、福島の祖母に「ごまを食べておくと健康になれる」ということを聞いたのを思い出し、すりごまを大量にかけて食べました(笑)。ごまの香ばしい風味が加わって美味しかったです。ちなみに豚骨ラーメンは580円です。


これからもラーメン店巡りは続くでしょうが、一人暮らしをするので外食の機会が必然的に減ってしまいます。だから引っ越すまでの2週間で多くの店に行かなければ!(笑)

 片道切符で遠くに行ってみる旅 4日目

3月2日
この日は福島の祖父母の家から、大船の親戚の家に向かいます。東館ー(水郡線)→水戸ー(常磐線)→上野ー(山手線)→東京ー(東海道本線)→大船のルートです。


前日に引き続いてゼンマイの煮物や落花生の味噌炒めなど、田舎ならではの朝食を堪能し、ゆっくりと過ごした後、祖父母に別れを告げて出発です。大学生は自由な時間が増えるので、福島に行く機会も増えそうです。
 
11:00東館→12:39水戸 水郡線 水戸行き
東館駅を出ると、列車は久慈川に沿って走ります。夏は鮎が釣れるそうで、機会があれば私も挑戦したいです。ちなみに東館から水戸方面に向かう列車は1日にたったの8本しかありません(汗)。水戸に近づくにつれて乗客は多くなり、立ち客も多くなったところで終点の水戸に到着。上野で昼食にしようと考えていたので、特急の自由席に乗ります。

12:52水戸→14:06上野 常磐線 特急フレッシュひたち32号上野行き
平日の昼間でしたが、乗車率は80%を超えている様子で、やはり常磐線にも特急は欠かせない事を実感しました。ウトウトしている間に終点の上野に到着。

上野では昼食とカメラの電池購入と散策を予定していましたが、とにかく寒い!まさか首都圏まで寒いとは思っていませんでした。寒すぎて散策する気にはならず、電池をヨドバシカメラで購入し、適当に歩いてラーメン店で激辛ラーメンを食べました。それでも体は一向に暖まらず、大船の親戚の家に向かう事にしました。ちなみに写真は不忍(しのばず)池です。
15:41上野→15:48東京 山手線 東京・品川方面行き(外回り)
16:03東京→16:46大船 東海道本線 熱海行き
東京からはとにかくボックスシートに座りたかったので、211系のクロス車に乗車してボーッとしていました。


大船にある親戚の家に泊めてもらいました。10年前はこうだったとか、私の親の幼少時代の話などを2時間ぐらいしてました(笑)。旅でたまった疲れもピークに達したようで、早めに就寝。

 片道切符で遠くに行ってみる旅 3日目

3月1日
この日は郡山経由で水郡線沿線の祖父母の家に向かい、休みます。会津若松ー(磐越西線)→郡山ー(水郡線)→東館と移動します。


会津若松のホテルがイマイチだったので、東館に到着する列車を1本早める事にしました。郡山の出発が11時59分から9時18分になり、会津若松の出発が10時2分から7時36分になりました。この日は水郡線が1本増発されていましたが、普段は11時59分の列車が無いので9時台の列車を逃すと次の13時49分の列車まで4時間半も待ちぼうけをくらう事になります。(^^;)


散策すらせずに会津若松を去るのも寂しかったので、早朝に鶴ヶ城まで散歩しました。会津盆地に位置しているために冷え込んでいて、暖かい神戸で暮らす私にとっては真冬並みの寒さでした。旅行前の神戸は初夏の陽気が漂っているように感じるほど暖かかったので上着は薄手のものを着ていったために、防寒対策で持参したカッパが無ければ大ダメージを受けていました(笑)。
 
野口英世青春通り」です。会津若松はどうやら彼が青春時代を過ごした街だそうで(初めて知りました^^;)、街灯にも彼の看板が取り付けられています。街灯からも、明治時代の雰囲気が感じられました。

鶴ヶ城です。幕末の戊辰戦争に巻き込まれながらも残った立派な城です。石垣は石ころを積んだだけのものでしたが。(^^;)


時間が迫っている中で散策したので、十分に見学できませんでした。野口英世青春館や、鶴ヶ城の内部も見たいので、また会津若松に来たいものです。地元の高校生とたくさんすれ違いながら、会津若松駅に向かいました。
 
7:36会津若松→8:47郡山 磐越西線 郡山行き
雪の残る猪苗代湖周辺を列車は走り、定刻通りに到着。郡山でままどおる柏家のもちずりと薄皮饅頭と朝食を急いで買い、水郡線の列車に乗車。これらのお菓子は昔から食べていますが、本当に美味しいです!郡山に行かれた人は購入してみてはいかがでしょうか?
9:18郡山→10:57東館 水郡線 水戸行き
新型車両のキハE130系2両編成は郡山盆地の田園地帯をのんびりと走ります。幸せな気分になれました(笑)。
 
途中の磐城石川駅で列車も私もひと休み。神戸には無い、何とものどかな空気です。


東館駅まで祖父に迎えにきてもらい、お昼前に今日の旅は終了です。水郡線を全線走破できました。ちなみに前日の北陸本線信越本線は未乗区間がわずかに残っています。1年半ぶりに訪れた祖父母の家は何も変わっていませんでした(笑)。
 
祖父母の家を山に向かって歩くと、先に人家はありません。八溝山地を抜けて那須塩原まで出ないと家が無いと思います(苦笑)。あと驚いたのは、薪を燃やして暖を取っていた事です。暖炉で湯を沸かし、干し芋をあぶって楽しいお茶の時間を過ごしました。夕食は祖母が近くで採ってきたゼンマイの煮物やフキノトウの天ぷらなど、都会では絶対に口に出来ない料理を堪能しました。


幸せな気分に浸りながら就寝。